2017年12月31日日曜日
SIKAのおはなし後編
前編はここ
貴方は――
野生の鹿というものを……観たことが、あるだろうか。
あの恐ろしい後ろ脚を……御覧じたことは、あるだろうか。
何鹿だったのかは、分からない。
私はその存在の後ろ脚のことしか、覚えていない。
二頭とも後ろ脚が凄かった。
そう、二頭だ。
こちらへと闊歩してくる一頭と、防火帯と森の際で佇んでいる一頭だ。
まず問題の一つは、あっという間もなく解決した。恐ろしげな野生の鹿に気づいたリヒャルトが、回れ右ですぐさま逃亡したのだ。
……ちぃぃ。頼り甲斐のない糞交換野郎め。
鹿が近寄ってきた。
後ろの一頭は、こちらの様子を覗っている。
小川の向こう側までもうすぐ。距離は川幅と同じ、四メートル。
もう一頭とは四十メートル近く離れている。
とうとう対岸まで来たその鹿は、私に顔の側面を向けながら川の水を飲み始めた。
こいつの相方は、防火帯と森の際から動かない。
なんということだ。馬鹿にされている。
その頃の私でも、鹿が草食動物であることくらいは知っていた。
つまり、肉食動物に捕食される命だということだ。
この山には熊も居る。
時おり麓に現れ、大人たちがそれを目撃することもあるようだ。
熊は雑食動物か? 木の実や鮭を食べている印象がある。熊もこの鹿を捕まえることが出来れば、きっと食べるだろう。
だから、この鹿は熊を見たら逃げるはずだ。
一目散に逃げるはずだ。
人間だって雑食動物だ。私は茄子以外に嫌いなものなどない。
この鹿も、大人の人間を見たら、逃げるはずだ。
近づかないよう逃げるはずだ。
だが、この鹿はこっちへ来た。
雄々しい後ろ脚。
人間の子供など、踏んだだけで簡単に殺せてしまうであろう。
それが容易に確信できるほどの、凄まじい筋肉の量。
Aria - Susumu Hirasawa
体重の差。
膂力の差。
種類の差。
生命としての差。
私のほうに向けられた鹿の右目が、言っている。
小さなお前など、どうにでもなる、と。
恐ろしかった。
野生が、野性が、恐ろしかった。
私は、
私みたいな子供を、
簡単に踏み殺せる鹿の前で、
その言葉の通じない相手の眼前で、
ケツ丸出しで、
しかも黄門には印籠が付着している状態で、
しゃがんでいるのだ。
パンツ下ろした状態で、天敵の前に在るのだ。
如何なる初動にもまったく対応できない恰好なのに、この思考が読めぬ鹿の気まぐれ一つで私は召されるのだ。
もし、仮に――
この鹿を奇跡的に斃せたと
しても?
何かの間違いで、
小さな小さな私が、
大きな大きなこの鹿を
屠りせしめることが、
出来たと
しても?
後ろにもう一頭居るのだ。
同じような個体が、すぐ後ろで控えているのだ。二体居るのだ。必死こいて一体を殺れば、疲弊しきったところを仇討ちされること必至。
あちらにだけ、控えの選手が居るようなものだ。
こちらのベンチは逃げた。
フッ……。
フフフフフフ。
安全には保険がほしいが、絶望への約束は要らないよ。
二つある金玉みたいなものさ。
予備が――待っている。
絶望の予備が。
そもそも第一、目前の一頭をどうこう出来るはずもない。
希望的観測が、見つけづらい。見つからない。
なんだこれは……どう転んでも、死ぬじゃないか。
……いい天気だったのが、救いだったかも知れない。
雨も当時から好きだったが、やはり最期の日は晴れがいいだろう。
鹿だけに、
生か、
死か、
なんつってな。
いいや、生は無いんだよ。
頭痛の種が次から次へとやってくる。
どうしたらいい。
どうしたらいいんだ。
糞。
思いつかない。
いやいや、思いつくはずもないのさ。
何も出来ることは無いのだ。
こっち側には、
何一つ、
選択肢など、
無い。
全てのカードを握るのは、あっち側だ。
私は泣いた。
鹿を真っ直ぐ見つめながら、両目から涙をぼろぼろと、落とした。
鹿は私を見つめながら、未だ水を飲んでいる。
人が呑める量を超えてもなお、鹿は水を飲んでいる。
目を逸らせば、死……。そんな気がした。
私の黄門から、ひとつぶの、ウンコが落ちた。
鹿は私を見ている。
私も鹿を観ている。
もうひとつぶ、ウンコが落ちた。
Aria - Susumu Hirasawa
後ろの鹿も、私を見ている。
泣いている姿を二頭の天敵に見つめられている。
私に出来ることが、
一つだけあるとするならそれは、
もはや、
ただただ泣きながら、
ただただ屈辱に塗れながら、
ただただ唐突な邂逅を果たしてしまった不条理そのものへの
笑み。
二頭の鹿が、私から目を離さない。
どうやら、ここまでのようだ。
ウンコが、
落ちた。
つづく
次回【SIKAのおはなし後編の後編】冒頭
私は助かった……。
Aria - Susumu Hirasawa
鹿さんたちがフツーに、森へと帰ったからだ。
当たり前だ。こうして大人になった今も、まだまだ生きてるじゃないか。
当時の私は、その鹿が去ったあと、ザブンと川へと入った。ケツを洗うためだ。水中で自らの黄門を優しくなぞるかの如く、丁寧に丁寧に洗った。紙など必要ない。先ほどまでこうして水遊びをしていたのだからもうどうせ初めから水びたしなのだ。
兄妹たちの許へ戻り、リヒャルトを叩いてから、また山頂目指して再出発。
因みに、この話は山へ登って降りる――というだけのもので、待っているのは予想通り、父の拳骨のみ。それで終わりというだけの内容であり、まあ熊との遭遇もあったとか嘘のハナシ創ってもいいけど面倒だし、考えてみればメインの鹿については語り終えたので、もうこれ以上記すものがない。
だから後編の後編はやんない。
ではさようなら。
また来年、文字がウンコ色じゃなくなったらお逢い致しましょう!
(いじりすぎたのかHTMLが暴走してんだよ……黒字に戻せない;;;)
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