2017年12月19日火曜日
憶い出BOROBORO 前編
あれは……いつからのことだったか。黒い砂漠の定例水曜メンテから? クロームを更新したあとから? 私のGoogle Chromeは、黒い砂漠公式サイトの幾つかのページを読み込めなくなってしまった。
500エラー。
こちらが悪いのかあちらが悪いのか判然としない、実に厄介なタイプのエラーだ。
そして、あちらというのも黒い砂漠さんなのかグーグルさんなのか、はたまた別の何かさんなのか? サッパリなのである。
このままでは……あれやこれやとイベントやコンテストをやっているのに、何も受け取れないし何へも応募できぬではないか。
ジュエルも買えないぢゃないか。
友人SYは『こっちは異常無い。公式サイトは問題なく見れる』と言っている。
では、私が悪いというのか?
いいや、私のクライアント側のトラブルなのか?
それとも、クロームの仕業なのだろうか。
分からない。
私には分からない。
思えばこの世は、
分からないことだらけだ。
あれはそう、私が幼い時の話だ。
まだランドセルを背負っていた頃の……
遠い過去の……
甘く切ない記憶の欠片。
私の弟の名前は……ふふ。いや、仮でリヒャルトとしておく。何事も個人情報なのだから。
ここで注意しておく必要性は感じないが、私の弟リヒャルトは、ドイツ人でもなんでもなく普通の日本人だ。
単に私がリヒャルトという文字列しか咄嗟に思い浮かばなかったというぞんざいな理由だけで、飽く迄も仮にリヒャルトとしておくだけである。
私たちは4兄妹で、私が2番目、リヒャルトは末っ子の糞野郎である。
あやつはとても頼り甲斐のない奴で、糞野郎である。托卵する鳥、カッコーのように汚い汚い糞野郎である。
ウグイスのように美しい心をもつ私から見ると、糞野郎of糞野郎でしかない真っ黒の黒っ黒の黒光り糞野郎。もう二度と汚い言葉遣いはしないと誓った私にして、どうしても糞野郎としか表現しようのない糞野郎なのである。
我々兄妹が幼い時分、家の中にカラスが迷い入ってきたことがある。
私たちにとってはとても大きなカラスが、出口を探し求めバサバサと居間の端から端まで暴れ回ったのだ。
親とジジババは畑に出ており、私たちはその手伝いの合間で休憩を貰って、家で休んでいた時のことだった。
何度か言ってるかも知れないが、私の実家は農家だ。
私たち疲労困憊状態の幼い四人は、畳の上で転がってノビていた。その静寂を打ち破ったのが、黒くぬめり光る一羽のカラス。
『ンカアアアァァァッ! ンカアアアァァァッ!』
と室内に於いては大きすぎるボリュームで鳴きながら、私たちを脅かすその怪鳥。
親は畑。ジジババも畑。
私たち四人だけで撃退するしかない。
こちらの戦力は、兄、私、妹、リヒャルトの4兄妹のみ。
全員小学生。
それは、凄まじい戦闘だった……。
出て行きたいのか、行きたくないのか。意味不明で予測不可能な所作。私たちを翻弄し続けるカラス。野生の恐ろしさをまざまざと感じさせる超スピードと、撒き散らされる謎液。
カラスであるから当然、人間のこちらよりも小さな相手である。
だが、プレッシャーの塊であるかのようなその物体は、脅威そのものといえた。
明らかに我ら小学生4人よりも強い個体だったのだ。
しかしそうであろうと、自分たちと父さんと母さんと爺ちゃんと婆ちゃんの大切な家だ。野生の侵食を許すわけにはいかない。
分かって欲しいことがある。
大自然が眼前にある田舎ライフでは、野生動物を保護しようなどというお上品な概念はない。そんな上辺だけの綺麗事で、生きていける環境じゃないんだ。
野生は敵。
大地は敵。
天候は敵。
それが田舎であり、そこに住まう者たちの観念だ。大自然と戦い続け、そこから恵みの果実をもぎ取る。雨とそして晴天すらも、休憩時間を奪い取っていく存在でしかない。
それが、農村だ。
それが、農業共同組合の下で働く戦士たちの真実と、精神の在りようだ。
自然への感謝? ドラマや映画でしか聞いたことのない台詞だ。リアル農村でそんな暇なことを言ってる奴なんて、私はひとりたりとも知らない。
都会では人間のご機嫌が敵かもしれない。
だが、
田舎では人間以外のご機嫌も敵なのだ。
森羅万象が敵。
田舎暮らしに穏やかなスローライフなど待ってはいない。
どうかそれを忘れないで欲しい。
カラスよ。そこに、すぐそこに、山があるじゃないか……!
カラスよ。貴様はそっちへ行けばいいだろ……!
カラスよ。こっちは私たちの縄張りだ……!
その熱き想いを共有させながら、年端も行かぬ我ら4戦士は懸命に戦ったのだ。
いいや……違う。
ようやく、
ようやく追い払って、
そのカラスが山のほうへと飛び去っていった時、
私たちは4人ではなく、
3人だった。
カラスによって、1人斃されてしまった……
という意味ではない。姿がなかったのは、そうリヒャルトだ。奴は戦闘のずいぶん前半のほうで、1人だけ逃げたのだ。
その糞のような男が、私の弟リヒャルトだ。
こやつは安全第一で世を飄々と渡っていく方法を知っている……とても生き方上手な男である。
それは今でもそうだし、そのように昔からそうだった。
時を同じくする昔々のこと。そんな糞野郎リヒャルトは、自身の寝小便と寝糞を私のせいにしたことがあるっ……!
→つづき
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿