先日は鹿とかウンコとかのお下品な話を聞かせてしまって、なんか誠にすみませんでした。
今日はウンコとかそういう汚い話ではなく、vărsături これはルーマニア語で嘔吐という意味ですが、何故かルーマニアから観てくださってる人が多いのでこうしてみました。ねーびっくり。なんでバルカン半島からこの阿呆なサイトにたどりついちゃったのやら。
話戻しますとね、そうですこのお上品な話ではね、下からのウンコじゃなくて上からのウンコつまり嘔吐のことについてお喋り致しますので。
お下品とお上品の使い方ってそうじゃないゾ( ꒪⌓꒪)
……分かった? 飲む機会も多い時期、美味いのか不味いのか分からないおせち料理が胃にいっぱい入ってる時でもありましょう。
ここから下は、
どんどん嘔吐のことについて喋っていくから、
さあ、
私は嘔吐恐怖症です。
『あなたは嘔吐恐怖症ですよ』と診断されたことなど無いんですが、私は嘔吐恐怖症だと思います。
そもそも、
『嘔吐するの大好きぃぃ!』
と胸を張れる頭オカシー輩のほうが少数派だと思うのですが、私のように吐くのは極めて怖いことだと決め込んで、日々をガタガタ震えて過ごしている者も、また少ないのではなかろうかい?
嫌いなんだ、吐くのが。
怖いんだ、吐くのが。
十代の頃はこうじゃなかったと思う。
嘔吐が怖くなったのは、お酒のせいであるから。
友人と札幌の繁華街、すすきのへ飲みに出掛けるような年齢になってから、自分のお酒のペースを覚えられるようになるまでの期間、私は何度も何度も吐きました。ああいうのは吐きながら覚えるものでしょう。
すすきのに行く都度、必ずといっていいほどゲロゲロと吐いていた。
恥ずかしくて二度と行けなくなった店が三つ以上ある。
便器につっぷし、
喉を迫りあがってくる奔流が、
ぶぶわ~~っと開放され、
口から溢れて、
ビチャビチャと音を立てながら、
迸ってしっていく。
視界が滲み、
涎と鼻水を垂らし、
汚物とともに酔いも吐き出されいくにつれ、
淡い後悔の残り香が鼻腔をくすぐる。
それが嘔吐です。
ここで話を一つ転じます。
いつからだったか。
私は茄子が食べられなくなりました。
十代の頃はこうじゃなかったと思う。
私は茄子の料理が大好きな子だったから。
そして、私は茄子嫌いになったわけでもない。
やんごとなき事情によって、どうしても食べられなくなったのね。
今でも麻婆茄子をもう一度食べたいと、切に願うばかりなのですが……。
このきっかけは、二十代の中盤あたりに差しかかる頃合での出来事だったはず。
おかずの茄子を食べた直後、お酒が逆流してきて、トイレへダッシュする羽目になってしまった。
その日の全てを吐き終え、私は泣いていた。
寝る前の日課であるエロ動画を鑑賞するまで、ずっとずっと泣いていたんです。
おかずの茄子を食べて四十秒ほど経ったところで、私は吐き気を覚えトイレへダッシュ。
何故か……そういったことが何度か繰り返された。
私は茄子を起点として、必ず吐くようになってしまった。
そうなってしまった自分に、気づいた。
この気づきが、いけなかった。
何故なのかよく分からないけど私は、“大好きなはずの茄子を食べると直ちに戻す”という、何やら不可解な経路で脳の回路・シナプスが繋がってしまったらしい。
なんだこの呪いは。
このままでは一生この謎呪いによって、ずーっとずーっと茄子が食べられなくなってしまうではないか!?
茄子を愛する私は、なんとか出来ないものかと、その気づきの翌日も、そのまた次の日も、またまた明くる日も、茄子にチャレンジし続けた。
これもまたいけなかった……。
大好きな茄子を諦めてなるものか。
私はまるで、恋を諦めきれない惨めなストーカーの様だった。
あたかも茄子さんのストーカーの如きアレだった。
すっぱりと茄子さんから身を引くべきだ。
それは分かっている。
だけど、私は茄子さんのウンコなら食えるくらい大好きなんだ。
君を愛しているんだ。
お願いだ。
私を、
私を捨てないでくれ。
頼む、この際二番目の恋人でもいいから。
お願いお願いお願いぃぃ。
君のそのジュルジュルの中身から離れ難いんだぁぁ。
離れ難すぎるんだぁぁ。
しかし、私は結局ギブアップした。
以来、茄子さんのことはもう、忘れるしかなかった。
どんなに欲しても、食べられないものは食べられない。
吐いてしまう。
茄子を食べられない。
そして、気づけば私は、茄子NGよりも、もっともっと恐ろしバッドステータスを被っていた。
……そう。それが嘔吐恐怖症。
過剰な茄子へのチャレンジ精神は、私の喉を酷使した。
喉が痛いんだ。
喉へダメージが来る嘔吐というものが、怖くて怖くて仕方がなくなったんだ。
これはボクサーでいうところの、“パンチアイ”に似たものだと思うのです。
殴って殴られるのが仕事であるボクサー。しかし、飛び抜けて強烈な打撃を喰らった等のことにより、パンチというものに対して拭いきれない恐怖心を持ってしまった。そういったボクサーは試合のたび、殴られそうになるとボブ・サッ○みたいな顔になっちゃうわけだ。それが、“パンチアイ”である。
殴られる前から、殴られるんじゃないかと心配するだけで、もう怖くなってしまう。
私の我流嘔吐恐怖症も同じだ。
吐くのではなかろうか、と思うだけでもう大変だ。
また喉を迫り上がってくるあの感じが、
また吐く機械にならねばならぬあの時間が、
また泣かねばならぬ嘔吐タイムが、
やってくるんだ……!
そう仄かにでも感じてしまうだけで胸がドキドキする。
大丈夫、私は吐かない。
大丈夫、私は吐かない。
大丈夫、私は吐かない。
大丈夫、私は吐かない。
大丈夫、私は吐かない。
必死に唱えなければならない嘔吐退散の呪文。
もはや胃液がムカムカしている状態すらも苦手!
私は普通の生活が送りづらくなった。
お酒の量は極端に減らしたし、
当然茄子は避け続けねばならなくなったし、
頭の中ではいつも
『嘔吐』
という二文字を思い出さないようにするのが忙しかった。
そんな私に、救世主(メシア)となる情報が齎された。
たぶんGIGAZINEか何かで見たんだと思う。
コーラには、嘔吐感を抑える効能がある。
ほ、本当か?
……本当だった。
私はその日以降、いつか次にやってくる嘔吐感に備えるべく、コーラを冷蔵庫に常駐させながら待った。
そして、その時がやってきた。
腐りかけたホッケの開きを勿体無い精神で無理矢理食べきった時のことだった。
ムカムカと私の食道を逆戻ろうとしてくるホッケ。
うわぁぁぁああっ、嘔吐感だっ、怖いっ!
私は冷蔵庫へダッシュし、コーラをあおったッ。
……なんと、嘔吐感が掻き消えたではないか。
本当に嘔吐感が、無くなった。
私は腐りかけのホッケを見事封じ込められたのです。
おおおお、コーラとはなんと素晴らしい液体なのだろうッ?
ありがとうコーラッ!
私はコーラが素晴らしい救世主だと気づいた。
この気づきが、いけなかった――
今の私は、自宅冷蔵庫にコーラを切らすことが出来ない。
コーラが無いと思うだけで、怖い。
コーラが無いのではないか? と思うだけで怖いっ。
家を出る時、
『あれ? 鍵かけたっけ?』
と思うことがたまにあると思うが、
私の場合は、
『あれ? コーラあったっけ?』
という状態が常なのだ。
私はすっかり、どっぷり、コーラ依存症になった。
いつも嘔吐感に対処すべく、コーラを欠かせぬ状態だ。家に居る時はあまり冷蔵庫の傍を離れたくないし、外でもコーラを手放せない。私はあまり炭酸好きじゃないので、普段まったくコーラなど飲まないのだが、鞄の中には常にコーラがある。
コーラ無いかも!?恐怖症だ。
目下私の悩み事は、次は己が、何の恐怖症になり、何の依存症になるのだろうという、漠然とした不安感を抱えていることだ。
それを考えると、とても怖い。
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